ホーム蓮の花道雑記
続-室戸岬から
 二十三番薬王寺から室戸岬の突端までの道も長い道であった。群青色の海原を左手に望みながら三日がかりで約百キロを歩いた。ただ歩いた。

 『暑い、足が痛い、腹が減った。』とかは感じてはいたのだろうが、歩いたこと以外の記憶は無い。跳躍も無く、飛躍も無い。頓挫も無ければ、落胆も無い。
ただ歩くこと、それも一歩一歩あるくことに等身大の充足を感じた。
金剛頂寺から神峯寺への道も長い海沿いの道である。

 安芸を過ぎた辺りから国道と別れ堤防の上に作られた人と自転車の専用道に上がる。

初秋の朝まだ早いキリッとした風に土佐の大海原が光り輝いている。

 前方にいくつもの岬が重なり合うように海に落ちている。その一番先端の薄い影が足摺であろう。
道ははるかだ。

 逃げるつもりは無い。うられた喧嘩は買うしかない。戦う以上は勝たねばならない。
この三ヶ月、B総研との戦いに忙殺され、そのあまりもの強欲、稚拙なやりくちに、いささか辟易していた。

 上海の黒マントの先生にお伺いをたてたら
「柔らかくて弱いものが勝ちます。ただ弱気になったら負けます。」とのお話であった。

室戸岬から
 二十四番最御崎寺から三十二番禅師峰寺まで歩こうと思う。
約二百キロの行程を五日もあれば行けるのだが、今回は件の『広尾の賢人』が同行されるので、お大師さまと合わせると同行三人の遍路行となり五日ではいささか心もとない。

 賢人は糖尿を少し患っていらっしゃっていて、「四国を二か月かけて歩いて治らない病気なんて無いんですよ。」との誘いに軽く乗ってこられたのだった。

 初日は前回打ち終わった最御崎寺の太子堂を参ることから始めた。長い山道を下り海岸線の道をどこまでも南下する。二十五番津照寺を打ち、その日の宿に決めた金剛頂寺への急峻な遍路道を登りはじめた頃から賢人の息ずかいは荒くなり、歩みはのろくなり始めた。

その晩、金剛頂寺の宿坊でビールを飲みながら
「長生きしたいなどとは思わない」と弱音を洩らす賢人に
「だから、歩くんですよ。歩き続けて果てにやむ。」と元気づけ、
「明日からは別々に歩きましょう。やはり、同行二人です。」と告げた。

 翌朝、土佐の海の水平線に茜色の陽が上る頃、勤行をすませ賢人に「それでは、お達者で」と別れを告げて土佐一番の難所、神峯寺への長い海沿いの道を歩き始めた。

 歩いているときは唯歩いているのであって、不足もないし、過分もない。

上海へ(5月某日)

「王成油画作品特展開幕酒会 2006.04.29.7:00pm」の案内の記されたポストカードを上海の李君より受け取ったのは四月二十日ごろのこと。近頃、老人性躁鬱症が昂じて部屋を出るのも戻るのも、寝るのも起きるのもめんどくさい。それでも何の気まぐれからか意を決して特展酒会出席のため二十九日の上海行き午前便の機上の人となる。

浦東飛行場で李君の出迎えを受ける。破顔一笑とはこの事か。「ラオパンいらっしゃい」

李君の笑顔を見ると「ああ、上海に来たとの実感」李君は上海でのビジネスのパートナーで開発センターと画廊の経営をお願いしている。
「ビジネスはどう?」
「ええ、馬馬虎虎」
「画廊の方は?」
「はい、先月、はじめて絵が一枚売れました」
「ほう、それはよかった、絶好調だね」

蓮花画房の上海ギャラリーがオープンしたのが去年の七月だから十ヶ月ではじめて絵がうれたわけだ。何と優美で繊細なる徒労、テレビの芸能人のドタバタと表参道ヒルズを軽蔑している小生にはそれがなんとも心地よい。開高先生の受け売りなのだが、馬馬虎虎と書いて「マーマーフーフー」と読むのだそうだ。馬でもなく虎でもない。ようするに「マーマーフーフー」なのだ。力んだところで人のやらかすことなど所詮「マーマーフーフー」ホリエモンも塀の中でそう悟ったに違いない。

再度やちむん探し-続き(4月某日)

壺屋を訪ねる前に軽く腹ごしらえと,国際通り公設市場の二階にあがる。

ソーキそばを注文する前にせっかくなので軽く一杯古酒を薄めの水割りで頂く。これまたせっかく沖縄なので島らっきょうとゴーヤちゃんぷるをおもわず注文。そうこうする内おねえさんが古酒泡盛の小さめなボトルと水割りセットを持ち来たる。

糸削りをまぶして食す島らっきょうは美味なり、塩味がほんのり効いたゴーヤは滋味なり。
昼間飲む古酒は至福なり。

公設市場から平和道りを抜け壺屋にいたる。
沖縄で屋根に瓦が葺けるようになったのは明治になってからの事。瓦職人は葺き終わると即興で屋根にシーサを作り載せた。材料は瓦の破片と余った漆喰。
企らまずして瞬時に造形されたシーサはどれもユーモラスな表情。

職人たちの願いはこの家が千代に八千代に安泰なれ、そして嵐からも悪魔からもこの家を守りたまえと言うことなのか。
人の営為の切実さと儚さが琉球の青い空に浮かんで消えた。

再度 やちむん探し(四月某日)
再度の沖縄行。羽田発二十時の最終便に乗り那覇空港到着は二十三時をまわった頃。夜の空気に亜熱帯の匂いかすか。今回の目的は壺屋町の骨董店主板野氏にお目にかかる事と漆喰シーサの逸品を捜し歩く事也。




板野氏は御年八十過ぎの元映画監督。古いものが好きで趣味がこうじて気がついたら骨董屋のおやじになっていたとの事。既に十数年のおつきあいで随分と良い品をわけていただいた仲なれど前回お尋ねした時、店は閉店中。隣のやちむん屋に尋ねると、週末たまに店にでるもののほとんど休業中との由。何でも夢が捨てきれず又映画を撮り始めるとの事、慶賀の至り。

空港より那覇テラスに直行、投宿。部屋で泡盛の水割りを飲みながら板野老の来歴に己が近未来を重ね合わせ一人、苦笑い。