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内藤忠行私論 

『出会い-1』
 一年ほど前のちょうど今時分。記憶をたどってもどうも起点が定かに思い出せないのだが神宮前二丁目のこの場所にギャラリーをオープンする事に決めた。何をどう仕入れ、誰に、どう売るかといったマーケティングのプロを自称している当人が本来プランニングすべき事さえ全くしないで出店契約だけ、さっさとやってしまったのだ。


 その半月前、上海・莫干山にギャラリースペースをこれも、ほんの気まぐれと偶然で借りたことも勿論理由の一つではあった。ただ上海ギャラリーの方は莫干山に集まる現代の画家の中から気に入った作品を週変わりで展示することを最初からのコンセプトとしたのに対し、東京の方は全く何も決まっていなかった。古伊万里も李朝も良い、上海の油彩も掛けたいし、深大寺の蓮池をモチーフにした関野氏の版画も飾りたい。有田や美濃の現代陶芸もあった方がいいにきまっている。

 知り合いの骨董店主や旧知の美術館長にその事を告げると、一人は大げさな身振りをまじえ、もう一人はすまなさそうに俯きながら
「今からでも間に合います。おやめなさい。」 「素人がギャラリーなど無謀の一言です。それも、東京と上海に同時にオープンなど聞いただけで寒気がします。」

それではと、ちょっと毛色の変わった自称前衛画家にご意見を拝聴すべく赤坂の料理屋に一席設け事の次第をお話しすると
呵呵大笑され
「実に愉快、豪快ですな。山本富士子でも小暮美千代でもやらんでしょう。」と、おっしゃる。なんで、ここで、山本富士子と小暮美千代なのかわからぬまま
「いけますか。」と訊ねると
「パリの由緒正しい老舗の画廊でも近頃では抽象画は月に一枚も売れないそうです。私も波はありますが、まあー、月に四,五枚は大作を製作しておりますが、ぜーんぶ、ラブホテルの壁画というか、まあー上等な壁紙。」

「おやりなさい。ぜひ、おやりなさい。やるなと言っても、どうせおやりになるのだから。私も一肌ぬぎましょう。例えばギャラリーのネーミングを一緒に考えるとか。」
「いや、何にも決まってないのですが、名前だけは決めてます。はす の はな の画 のふさ と書きまして蓮花画房としようと思ってます。」

 もう二十年にはなるだろうか、最初は香港でたまたま買った睡蓮の水彩画であった。その後上海、ソウル、ハノイ、広州と旅に出るたびに掛け軸であったり、李朝民画であったり、油彩・版画と蓮を描いた作品を捜しまわっては買い集めた。
だから、と言う訳ではないが上海・莫干山にギャラリーを決めた時何となく胸の内では『蓮花画房』は既に決まっていた。
「いや、すばらしい。実にすばらしい。若尾文子でも原節子でも敵いません。蓮花画房ですか。ところで、この鱧うまいですな。ほー、この鮎は深山ですか。」
 前衛画家はその後上機嫌で談論、痛飲してこんな一言を残して夜の赤坂に消えていった。
「無駄、徹底的に無駄を形式化して露骨なまでに徹底する。こんな愉快なことはありません。今、私は昭和大女優東西番付表をつくってまして、東の横綱は山本富士子で決まりなのですが、西が決まりません。新珠三千代か、・・花影の池内淳子も捨てがたい。
まあー、完成したらお送りしましょう。」

 その翌日、福岡への出張でいつも乗るANA便がとれず、めずらしくJALに乗った。梅雨空の羽田を離陸した機は時折激しく機体を揺らしながら梅雨前線の雲の中を上昇していった。水平飛行に移り何気なく座席ポケットの機内誌をめくると氏のブルーロータスが5ページ程、枚数にして十枚位のっていた。
それがブルーロータスとの最初の出会いであった。
淡いブルーの濃淡を背景に造花のような白い蓮の花がうかんでいる。
作家の心象風景のように思えた。

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