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特展酒会続話(上海)五月某日

「昔はね、少し研究にのめりこんだ事もあったけど、今は、さっぱりで。もう、すっかり忘れてしまった。」
「いや、ラオパンのことだから、本質というか、髄のところは、究めて、見切られたはずだと思いますが」 微笑みながら李君が言った。

いつもの事だが李君の観察は鋭い。究めたところで前へ進むか、後ろへ下がるかは人それぞれであって、いずれも、いずれとは言いがたい。
「ところで李君さっきの老子の続き、君、知っている」
「いや、知りません。黒マントの先生に聞いてきましょうか」


先生は禁煙であるはずのギャラリーの真ん中で悠然と紫煙をくゆらせながら、談笑されている。李君は黒マントに歩み寄ると何やら囁いた。
先生はその精悍な顔をこちらへ向けるとにこっと微笑まれ近ずいてこられた。

「ニイハオ、ラオパン。上海へようこそ。」
「ニイハオ、先生。お会いできて光栄です。」社交辞令ではなく瞬間、光栄というか、幸運を感じた。これからの数分間に起きるであろう未知なる体験と転回点を予感したというべきか、先生から伝わるオーラには経験と研鑽が発酵し蒸留し、滴が光っていた。
「老君にご興味が,おありとか。」
「なにぶん、不勉強でして、お恥ずかしい限りです。寄せ書き帳の一文は老子とお聞きしたのですが。」
「はい、太上清静経です。まあ、道、タオのお経みたいなものです。」
「あの続きを知りたいと思いまして。つまり、女は濁なりの。」先生は又も、にこっと微笑まれ「男は動にして、女は静也。本より降りて末に流れ、而して万物を生ず。」と続きます。
「どのような意味なのでしょうか。意味などお聞きするのは不躾とはおもいますが。」
黒マントの先生は「フッフォフッフォフッフォーー」と聞こえる笑い声を発すると
「老君は難しい哲学は説きません。当たり前のことを少しだけ極大化というか、まあー、明快に述べているだけでして、ラオパンが実践され、経験されてきたことです。」

先生の解説によると万物には「道・タオ」という根源的な原理があり人はその「タオ」に拠って生きるべきであると。又万物には陽と陰、動と静,清と濁がありこれらが混ざり合って又万物が生まれるのだと。
そして、こうも付け加えられた。

「老君の老君たるとこは実はその後でして、水や女など柔らかく弱いものが常に勝ち、生き残る。これが法則だとおっしゃる。牝は常に静を以って牡に勝つと断定される。」
なるほど、タオは深いと痛感した。混ざり合ったこととか、静に負けたこととか遠い昔のことが思い返された。
「ラオパン、顔色がよろしくないようですが。」
「はい、ちょっと疲れが」
道可道,非常道をもっと知りたいと思った。ひょっとすると老年に差しかかっての今一度の生き方とか死に方を整理する手がかりになるかもしれない。

「ラオパン、無理をされないほうがよろしい。今夜は宿に帰っておやすみなさい。ゆっくり、深く息をされるのが肝要です。明日にでも又お目にかかりましょう。」
先生はこちらの心をちゃんとみぬいてらっしゃる。
「先生、有難うございます。それでは、再見」

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