HOME > お知らせ
千曲市の旧戸倉町の千曲川西岸、冠着(かむりき)山のふもと一帯に「更級(さらしな)」と呼ばれる場所があります。明治の市町村合併で「更級村」とされた名残ですが、この地と「更科そば」の関係について、お知らせします。

「更科そば」は基本的には蕎麦の実の中心部を使用した「白い」お蕎麦のこと。18世紀末に江戸で評判になって以来、現在でも東京では蕎麦と言えば「更科そば」を指すことが多いようです。
この「更科そば」は元々は先祖が信州「更級」の出である「布屋」の太兵衛さんが蕎麦屋に転じたことが始まりだそうです。「布屋」の頃、出入りしていた殿様の薦めで信州産のそば粉を使って始めたのが最初とのことです。
実はこの「更科そば」、千曲市の「更級」と大いに関係があります。いやそれどころか「更科そば」の起源は千曲市にあると言っても過言ではないかもしれません。
『更科そば』と千曲市の『更級』を結びつけるには、いくつか説明を要する問題があります。
まず、「千曲市では蕎麦粉がとれないではないか?」という疑問です。
確かに千曲市では蕎麦は余りとれません。しかし当時の「更級」には北信州の各地でとれた蕎麦の集積地があり、そこから江戸に運ばれたと、とされています。
千曲市の「稲荷山」は、「更級郡」の一部で、当時は北信州一の商都でした。しかも江戸へ向かう北国街道と京へ向かう善光寺西街道が交差する所に近く、交通の要衝でした。また千曲川の水運も活用できました。おそらくここから「蕎麦粉」が江戸に運ばれたものと思います。
次に「字が違うではないか?」という疑問です。
これについては、実は出入りしていたお殿様(つまりスポンサー)の家が「保科家」であり、その科の字を一字いただいた、というのが真相のようです。保科家も元をたどれば信州の出の大名です。(長野市若穂の保科の出)
信州「さらしな」の出身の布屋が、やはり信州の出の殿様のすすめで、信州産の蕎麦粉を使って始めたのが「更科そば」だということらしいです。
そしてそのそば粉は信州の更級の里、つまり今の千曲市にあった集積地から運ばれてきたため、「さらしなそば」の名称となっていった・・・。
以上は根拠のない話ではなく、現在も東京麻布にある、江戸時代から続く老舗の蕎麦屋さんに伝えられている話だそうです。
千曲市内の蕎麦屋さんでも「更科そば」をメニューに加えている所がたくさんあります。機会があったら「本場の本物」の更科そばを召し上がってみてはいかがでしょうか?
