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千曲市の戸倉上山田温泉のすぐ西側に城山という山があります。夜には「戸倉上山田温泉」というネオンサインがあることで有名な山ですが、そのネオンの「戸」の字のすぐ上に、城山史跡公園荒砥城はあります。
見学に当たっては車(バスは中型車まで)ですぐ近くの荒砥城専用駐車場まで行けます。駐車場から歩いて五分で城内に入れます。入城は有料で、大人300円、中学生以下無料です。

荒砥城は大永4年(1524年)、村上氏の支族である山田氏によって築かれた連郭式山城で、千曲川対岸の村上義清の居城である葛尾城の支城的な役割を果たしたものと考えられています。
村上義清配下の武将として山田氏は活躍しますが、武田晴信の信濃侵攻に荒砥城も巻き込まれてしまいます。
「山田氏」は、「上山田」の名称の元ともなった一族でしたが、武田、村上の抗争の最中、城主国政は上田の砥石城落城時に戦死したと言われています。
村上義清が越後へ落ちのびた後は武田軍に帰属する城として活用され、屋代氏の領有する城となりました。
その後、第一次川中島の戦いの時に、緒戦で武田軍を破った上杉軍により奪還されましたが、結局は再び武田軍の支配地域の城となりました。
武田氏滅亡後は越後上杉家の支配地域となり、その一城となりましたが、海津城の副将だった屋代秀正が背き、荒砥城を奪うと1584年上杉氏は城を攻め、徹底的に破壊されてしまいました。以後城としての役割を失ったと言われています。
この一件で海津城主だった村上国清(義清の子)は、屋代氏謀反の責任を問われ、海津城主を解任されました。
このように戦国時代に「風林火山」や「毘沙門天」の旗が行き来し、しのぎを削った地であった千曲市周辺は、まさに大勢力の「境目」の地として、大きな渦の中に飲み込まれていたのです。
なお、2007年度NHK大河ドラマ「風林火山」において、劇中「海ノ口城」としてこの城でロケが行われました。

ロケ中の荒砥場内

